普段あまり神社やお寺にお参りしたりしなくても、男性42歳、女性33歳の大厄はさすがに厄払いしておこうか?と考える人が多いみたいですね。
ところで、厄年には、数え年と満年齢の2つの数え方があります。
神社とかお寺のことなので、なんとなく昔からある「数え年」に決まっているのかと思っていましたがそうではない場合があるんです。
じゃあ、満年齢だったら誕生日から次の誕生日が厄年?数え年は「いつからいつまで」厄年ってことになるの?
と改めて考えるとあいまいな点があったので、調べてみました。
この記事の目次
厄年は数え年?満年齢?どっちで考えるもの?
神社やお寺でもどちらで数えているかはまちまち
厄払いを行う多くの寺社では、確かに数え年を採用しているところが多いようです。
ネット検索していろいろブログ・サイト見ていたら、
厄年は満年齢ではみません!と言い切っている情報もおありましたが、そうでもありません。
関東厄除け三大師の、観福寺、川崎大師 平間寺、西新井大師 總持寺では、厄年のカウントはそれぞれ、
観福寺:数え年
川崎大師 平間寺:満年齢
西新井大師 總持寺:数え年
となっています。
私は間違えて川崎大師に数え年で厄払いに行って、何もしないで帰ってきたことがあります(苦笑)。
そもそも数え年、満年齢って?
江戸時代以前の日本では、年齢の数え方は数え年でした。
明治6年2月5日の「太政官布告第36号(年齡計算方ヲ定ム)」にて新暦と満年齢を公的には採用することになりました。
しかし、一般には数え年が使われ続けていました。
(明治生まれの祖母は、自分の年齢に対は数え年でずっと考えていたようです)
満年齢の使用が一般的になったのは、
「年齢のとなえ方に関する法律」(昭和24年5月24日制定、25年1月1日施行)により改めて、満年齢を使用することが促されてから後です。
厄払い、という習慣はいつから?
ある年齢になると神社やお寺で役を払ってもらう、厄払い、という行事の起源は平安時代に盛んだった陰陽道や、弘法大師が中国から持ち帰った宿曜経などにあります。
現在、厄年としてよく知られている
女性19才、33才
男性25才、42才
というのは、宿曜経での「悪い星」に当たる年、とされています。
平安時代には、当然、人々の年齢は数え年であったことから、多くの寺社は数え年の厄年をそのまま採用し続けているものと考えられます。
たしかに、数え年で年齢を数えるのが普通だった時代からの習慣なのですから、
「数え年」の方があっているのでは?という気がしますが、
逆に、どうして川崎大師は、満年齢で数えるのか?知りたいところです。
数え年の数え方
数え年では、
生まれたときに1才、次の年に2才、
という数え方をします。
「次の年」への切り替えをいつ、と考えるのかですが、現在は、
新暦1月1日に、満年齢+2才
誕生日以降は、満年齢+1才
と考えることが多いようです。
切り替えのタイミングは、
1.新暦1月1日
2.旧暦1月1日(対応する新暦の日付は毎年変わる)
3.新暦立春(毎年日付は変わる)
4.旧暦立春(毎年日付は変わる)
の4種類の可能性がありますが、現在では、ほとんどの場合1の新暦1月1日で数え年を1才加算しています。
もしも、旧歴や立春で数え年を加算する考え方をすると新暦1月~2月生まれの人は、厄年を計算するのが面倒になってしまうんですよね。
厄年はいつ始まっていつ終わるの?
数え年の場合
新暦1月1日加算される数え年の場合は、厄年は数え年で厄年にあたる年の1月1日~12月31日までとなります。
1988年生まれの女性は、2019年1月1日から12月31日までが33才の厄年となります。
ただし、厄年は立春に始まって翌年の節分に終わる、という説もあります。
満年齢の場合
満年齢は、その人の誕生日に年を加算するので、それに合わせると厄年も、
誕生日から翌年の誕生日前日まで、となりそうなのですが、
川崎大師では、
満年齢で厄年になる年を厄年としています。
例えば、1977年(昭和50年)生まれの男性は2019年(平成31年)に、満で男の本厄42才となりますが、
1月1日生まれであっても12月31日生まれであっても同じように計算します。
たしかに、ひとりひとり、厄年がいつから始まっていつ終わるのが違うのは煩雑すぎて、境内に一覧表とか出せないですよね。
まとめ
いろいろな数え方がある、と言われると
どれが本当なのか?
と言いたくなりますが、
、
厄払いを取り行う神社やお寺には、数え年で行うところも満年齢で行うところもあるので、
自分が厄払いをお願いしたい寺社がどちらなのかを、
神社やお寺の公式サイトなどで確認してから厄払いに行けばよいでしょう。