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十分と充分の使い分け「この差ってなんですか」の解説は間違い?

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2018年3月13日に、
TBS系バラエティ番組「この差ってなんですか」で紹介された

「じゅうぶん」の漢字表記についての
十分と充分の使い分け。

番組放送後、twitterなどでは、

「これでスッキリした!」という声の一方で、

「間違っている」「ウソ」

といった意見が出ていました。

番組ではどのように使い分ける、とされていたのか、
その根拠は何なのか、
どのような異論が出ていたのか、について

メモとしてまとめておきました。

テレビ番組で紹介された使い分け

過去の放送内容は番組公式ページのこちらのページから見ることができます。

http://www.tbs.co.jp/konosa/archive/20180313.html

3月13日放送の「この差ってなんですか?」では、

十分と充分の差は、

物理的に満たされている状態なのか、
気持ちが満たされている状態なのかの差、

とし、
十分:物理的に満たされている状態
充分:気持ちが満たされている状態

だと説明しました。

そして、

日本にはかつて、「十分」という感じ評議だけがあり、
「腹八分目」の八分と同じように、目盛りの感覚だったが、
近代になり気持ちと区別するために、
「充実感」や「充足感」のように心が満たされた状態を表す「充分」という
漢字表記ができた、

としています。

十分は数量、十分は主観的な満足感、とされる根拠は?

番組で言われていたような使い分けの根拠はどこにあるのでしょうか?

ネット検索すると、
番組内容のまとめ(このブログもある意味そうですが 笑)ではなく、
番組放送以前に書かれたブログ記事で
同じような内容のものがいくつかありましたが、

出典や、そうした論を述べている言語学者の名前などの記載はありませんでした。

最近、テレビ番組でtwitterの発言や画像をそのまま使っているケースがあるのを見ると、
この「使い分け」についても、ネットの情報を拾ってきただけなのか?
とも思いますが、

発言者がはっきりわかる記事がありました。

リクナビジャーナルの2017年12月1日の記事です

https://next.rikunabi.com/journal/20171201_S02/

監修者として、マナー講師・大学講師の佐野昭子の名前、顔写真が掲載されていますが、
文責はリクナビネクストジャーナル編集部となっています。

この記事では、十分と充分の使い分けの他、
充実、充足などの他の単語の用法についても触れていますので、
おそらく、番組での「十分と充分の使い分け」は
尾の記事もを元にしているのではないでしょうか?

記事でも番組と同じように、

「充実」「充足」は数字のような分かりやすい指標はありませんが、感覚的に満たされていると判断することが可能です

としているのですが、

充実はともかくとして、「充足」には、

採用状況の充足率

という用法があります。
充足率は、「就職件数」÷「新規求人数」という計算式で求められる「数字」であり、「指標」です。

マナー講師の方が監修となっていますが、
記事自体は、ウェブライターが書いたものでしょう。

記事のまとめ部分に「いかがでしたが?」という、ウェブライターが量産する記事にありがちな
決まり文句も入っています。

となると、一見、根拠がありそうなこちらの記事が、
他の出典のない、一般の方が書いたブログ記事の孫引きなのかも?(推測ですが)

異論1・文化庁の報告

十分と充分については、

昭和36年に出された、
文化庁第五期国語審議会
「語形の「ゆれ」の問題 漢字表記の「ゆれ」について(報告)3」にて

本来は「十分」であって,「充分」はあて字である

とされています。

http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/05/bukai02/06.html

またこの報告書では、

憲法では「充分」を使っている

とありますが、

憲法で使われている「充分」はどのようなものかというと、

日本国憲法
第三十七条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。

ここでの「充分」は刑事被告人の「気持ちが満たされている」ことを
さすのでしょうか?

では物理的なものなのか、というと、
1人につき何分、何回という数の基準というものでもありません。

憲法の「充分」の例からは
じゅうぶんは、かならずしも、物理的と気持ちにきれいに分かれるものではない、
ということがうかがえるのではないでしょうか。

この文化庁の報告では、

公用文や「文部省刊行物表記の基準」などでは、かな書きを採り,「十分」と書くことを許容している。

とあります。
※昭和36年当時は「文部科学省」ではなく「文部省」です。

十分と充分には、正しい使い分け方はこうだ、とするはっきりした根拠はないし、
そもそも「充分」はあて字なので、

ひらがなで書くことを採用し、
あえて漢字で書くなら、もとからあった「十分」とする、
とうことですよね。

一方で、文化庁公式サイト内のさまざまな文章で「充分」という記述も存在しており、
内容からすると、物理的に数量が満たされていることをさすのだろう、と考えられる例もあります。

異論2・中国語の十分と充分の意味は入れ替えができる

文化庁の報告では「充分」はあて字、とのことですが、
中国語にも「充分」という言葉があります。

ただし、十分と充分は中国語では発音が違い、
「同じ音に別の漢字をあてはめた」ではなく、
そもそもが違う単語なんですね。

まとめ、というか感想

日本で使っている漢字や熟語のもとである中国語では、
十分と充分は発音の異なる単語であり、
数量が足りている、
気持ちが満たされる
という2つの意味は、どちらの単語の用法にもある。

日本では、もともとは「十分」という漢字表記しかなかったらしい。

しかし、「充分」は、

リクナビの記事のように、「近代になって精神的な満足感を表すためにできた言葉」なのか
文化庁の報告のように、「あて字」なのか
もともと、中国から入ってきたことばとして存在しした(でもなぜかあまり使われていなかった)

なのかは不明でした。

言葉は時代とともに変わっていくものなので、
日本語を使う人の大多数が、

十分 数量が足りていること
充分 気持ちが満たされること

と使い分けているのなら、

昭和36年の、文化庁の報告をもっていて
十分と充分を使い分けるのは間違い・ウソと決めつけることもできないでしょう。

しかし、実際には、

物理的なことをいっているのか
気持ちのことをいっているのか
あいまいなケースもあり、

番組を見た人の何人かが、twitterで「これでスッキリした!」といっていたような
割り切れるものでもないんじゃないかなあと思います。

個人的には文化庁報告のように、
かな表記を基本として、あえて漢字で書くなら「十分」でいいんじゃないかと。

それぞれの人が、個人で
「感謝の意を伝えたいときに充分と書く」
というこだわりを持つのは(充分という漢字表記が誤りとされていない以上は)自由です。

もしかしたら、時間の10分と区別するために
充分がいい、という人もいるかもしれません。(ひらがなで書けばいいのですが)

ですが、他の人からもらったはがきやメールに
「十分」と書いてあったから、この人には感謝の気持ちがないとか、マナーを知らないなどと思うのは
的外れだと思います。

また、学校などの試験問題などにするのも不適切でしょう。

数年前から、メールなどで目上の人に「了解しました」というのがマナー違反、という説がありますが、
これは2011年に出版されたマナー本が発生源で、とくに根拠はない、という指摘がされています。

http://otakei.otakuma.net/archives/2016062501.html

十分と充分の使い分けも、「了解がマナー違反かどうか」に似ていて、
もしかしたらどこかのマナー本に特に根拠もなく個人的な感覚で書かれたことが
テレビやネットを通じて拡散されたために多くの人がそう思うようになった、という例の一つかもしれません。




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